御由緒

日本三熊野の一つ、熊野大社

熊野大社は、大同元年( 8 0 6 年)、平城天皇の勅命により再建されたと伝えられています。その後も時の天皇、法皇の恩恵をうけ、のちに天台宗・真言宗・羽黒修験・神道の四派も加わり、熊野修験の霊場としても栄えました。なお、荘厳な拝殿は県内最古の茅葺屋根建築で文化財を指定をうけています。

県内最古の茅葺屋根建築

平成18年、千二百年祭を記念した屋根修復事業により、天明7年(1787年)の墨書が発見され、この年以前の建設であることが判明しました。この当時の建築部材より古いと思われる木材が主要部分に用いられていることから、拝殿の創立年代は、この天明7年をさらにさかのぼるという研究もあります。唐破風(からはふ)、千鳥破風(ちどりはふ)を、萱で葺くのは、山形県独自の建築様式で、出羽三山合祭殿などにみられますが、熊野大社の拝殿は、その中でも最も古いものです。

上杉、伊達歴代武将の信仰

1601年(慶長6年)、上杉景勝は米沢30万石に減封されます。直江兼続が大旦那として熊野大社の修復にあたったのは、その3年後の慶長9(1604)年5月のことでした。興味深いのは、当社に伝わる『一山古今日記』に、直江兼続の造営の棟札と伊達政宗の棟札が並べて書き上げられていることです。歴史の奔流のなかで対立したこの二人の武将が熊野大社の歴史に登場するのは不思議な縁というべきものでしょう。なお、熊野大社には、伊達正宗の安堵状が残されています。