クラウドファンディング御礼のご挨拶
この度は当社の拝殿萱屋根修復に際しまして、クラウドファンディングを通して御協賛をお願いいたしましたところ、思いもかけず多くの方々から御協力を賜り、誠にかたじけなく存じます。こうした試みは、私どもにとっては、無論初めての試みでして、五里霧中の中に足を踏み入れるような思いでしたが、目標額をはるかに上回る成果を得ましたこと、篤く御礼を申し上げます。以下に思うところを記して感謝の意を申し述べます。
米沢藩中興の君・上杉鷹山公の仁政のレガシーであること。
当社の拝殿は、平成18年6月~19年10月にかけての大規模改修に伴う調査の結果、天明7(1787)年の墨書が発見され、このころに再建されたものであることが明らかになりました。当社の文書では、安永4(1775)年に大破した社殿を上杉鷹山公がその家臣に命じて再建したものと伝えられています。当社の関係文書には、安永の大破の後10年あまり再建できなかったとありますので、それに合致します。つまり、安永4年に大破した社殿を、鷹山公が再建したものとみて間違いはないと強く推測されます。天明7年といえば、天明2年~8年の天明の飢饉も真っ只中です。そのような時に大規模な拝殿の再建をはかるというのはどうしたことでしょうか。調査にお出でになった先生に率直にご見解を伺うと、実は、飢饉の年に大規模な寺社の改築を行うというのは、むしろありがちなことだったそうです。それは、お助け普請といって、困窮した人々に食を与えるための、いわば、公共事業であったのです。鷹山公の治世下、米沢藩は一人の餓死者も出さなかったそうです。当社の拝殿は、そのための鷹山公の仁政のレガシーでもあるのです。
当社の萱屋根は世界に誇る山形の文化遺産であること。
萱屋根といえば、日本の古びた屋根というイメージをお持ちの方もおられるかもしれません。しかし、萱屋根は、ヨーロッパにもあります。私は、その事を、前回の改築工事の時、研修できていた青い眼の職人さんから知りました。今回、改めて調べてみると、ヨーロッパでは、萱がエコロジーやデザインの観点から、積極的に取り入れられているということです。むしろ、日本はその流れに取り残されているようです。そうした中で、当社の萱屋根は、雪深い山形の風土の中で育まれてきた高い萱屋根技術の結晶ともいうべきものであり、唐破風(からはふ)・千鳥破風(ちどりはふ)・入母屋(いりもや)造りという、屋根職人の技術の粋を集めたものです。このような萱屋根は、山形の他には福島に一部あるだけだそうです。まさしく、山形が世界に誇る文化遺産なのです。
次の世代へ
文化遺産を次の世代へ受け継ぐためには大変な努力が必要であることは想像がつくと思います。その努力を支える力の源が大神様への信仰であると、私は固く信じています。信仰に支えられつつ、リレーのように、いままで拝殿を受け継いで来たのです。現代に生きる私どもは、その遺産を次代に渡す責任があります。私どもはそれを一時的にお預かりしたに過ぎないからです。時代の変遷の中で、文化遺産を次代に受け継ぐことには大きな困難が伴います。ことに萱屋根の場合には、20~30年に一度修復が必要で、そのたびに大きな出費を伴います。全国から萱屋根が姿を消していくのはこうした理由があってのことだと思います。この度、全国の皆様から多くの浄財をお寄せいただいたことに深く感謝すると共に、萱屋根の拝殿を次代に引き渡す責任を痛感しております。誠に有り難うございました。
熊野大社 宮司 北野 達